ふわっと岳

なんでもあり空間

幸せと不幸せ

ただいま幸せの絶頂中!というA子さんがいたとする。しかも人生最高レベルで幸せフィーバー状態だとする。

でも、そんなA子さんに対して

「本当に幸せ?本当に幸せ?本当に幸せ?本当に幸せ?本当に幸せ?本当に幸せ????」

と突き詰めていったら不幸せの要素が必ず出てくると思う。
幸せの絶頂中って不安なことや嫌なことがちょっと心の中から退席してくれてたりする。
でもあくまで退席してるだけで、この世から消滅してくれているわけではない。Skypeでいうとログイン状態を隠してるアレ。

どれだけ幸せでも、あるんだよ、本当は。
不幸せは、ある。

逆に、

ただいま不幸せの絶頂中!というA男さんがいたとする。しかも人生最凶レベルで不幸せフィーバー状態だとする。

でも、そんなA男さんに対して

「本当に不幸せ?本当に不幸せ?本当に不幸せ?本当に不幸せ?本当に不幸せ?本当に不幸せ????」

と突き詰めていったら幸せの要素が必ず出てくると思う。

不幸せの絶頂中って楽しいことや嬉しいことがちょっと心の中から退席してくれてたりする。
でもあくまで退席してるだけで、この世から消滅してくれているわけではない。Skypeでいうとログイン状態を隠してるアレ。

どれだけ不幸せでも、あるんだよ、本当は。
幸せは、ある。



幸せが+1、
不幸せが−1、
だとすると。

結局のところぜーんぶ0。ゼロ。
幸せも不幸せもあってないようなもの。
そんなものに振り回されるより、
自分の気持ちや感じることを大切に、
自分が心地良いこと、好きなことをやっていったほうがいいのではないかと思う。
どーせ幸せも不幸せも起こるし、でもそれはあってないようなものだし。
世間ではマイナスなことでも、自分にはプラスだったりするし。逆も。

たとえば
アンパンマンが正義で、
バイキンマンが悪って、
誰が決めた?

まあ作者なんだけど。
本当はバイキンマンバイキンマンなりの正義や信念があるのかもしれないのにね。ストーリー的にはないと思うけど。笑
なんかドラゲナイの歌詞的なね。

そのまんまの自分でオッケーでしょうということ。幸せとか不幸せとかそんなことに振り回されないで、今をしっかり生きようと思った午前3時でした。

死ぬ間際の気持ちになりきってみる

それはゴールデンウィーク半ばのこと。
日々の生活にかなり疲弊して帰省した私は、ほとんど寝てた。徹底的に何もしない、をした。

ゴールデンウィーク前、結構人の好き嫌いが激しくなってて、それで自分で勝手に苦しんだりしてた。ひとりでウワーッてなってた。日々。そうそれはエブリデイ。エブリデイ悪態。そして自己嫌悪。それがMAX突き抜けてた。

で、徹底的に何もしない、をしながら、ふと「死ぬ間際の気持ち」を想像してなりきってみた。私が将来どんな死に方するかはまだ未定なんだけど、とにかく死ぬ間際をイメージした。死ぬ間際の世界に入り込んでいった。

イメージした先は病室。歳とってベッドに横たわる私。周りを見れば私の家族たち。心配そうにこっちを見ている。

まず、子孫を見つめながら「よかったなぁ、ありがとう」と思った。未来と希望のイメージ。

次に、良いことも悪いこともダイジェストでバーッと蘇った。めっちゃ嫌だったことも蘇ったけど、嫌悪感はなかった。当時めっちゃ嫌だったんだろうけど、でも「それでもみんなと関われてよかったなぁ、みんなありがとう」という穏やかで優しい気持ちになってた。


どうぞみんな勝手に幸せになってくれ。

っていつも思ってるよ。

 

好きな人も、そんなに好きじゃない人も、

みんなみんな、どうぞ勝手に幸せになってくれ。

私も勝手に幸せになるから。

 

まだまだイラッとしちゃうことも多いけど、

みんな幸せになったらいいと、漠然と思うんだよ。

 

勝手に笑顔で楽しく過ごしてくれ。

自分の人生を、自分の今を、感じ切って味わい切ってくれ。

私も好き勝手やるから。適当に楽しくやるから。

だからみんなも、全力で好き勝手やってくれ。